Monthly Archives: 11月 2013

世界中で最も進化した革命的な車

太平洋戦争の終わらない1945年7月初日、カイザー・アレイザー・コーポレーションの設立を発表したようです。8月6日に広島、9日に長崎に原爆を落とす1946年に47年型として発表されたのが最初の力イザー・カスタム・セダンでした。彼らはすでに勝利を確信し、戦後の計画を進めていたようです。フォードはウィローランに飛行機工場を持ちBM爆撃機を量産していたようです。そして1945年6月、まだ戦争が終結していないのに、8685機を生産して工場を閉鎖しました。その翌月の6日にフォードは民間用乗用車の生産を再開、その月にカイザー・アレイザーが発足したというわけです。そしてカイザー ・プレイザーはフォード社の巨大なウィローラン工場を買い取って乗用車生産を始めるのです。 Read the rest of this entry >>

乗用車生産に進出

ミシガン州のウィローランという小さな町。セントクレア湖の西岸に開けた一大工業都市がアメリカ自動車産業の中枢デトロイトで、その西の郊外にフォード帝国の本拠地ディアボーンがありますね。そこからさらに西に走った所にウィローランがあります。このウィローランの町は、第二次大戦後にビッグスリーを始めとするアメリカの巨大自動車産業の仲間入りをしようとする、無謀とも思える挑戦が行なわれた所と言われていますね。踊れるような情熱だけで財布は空っぽの若者と揶揄されるような向う見ずの挑戦ではなかったようです。充分な資金と豊富な経験をもったふたりの工業家の計画されたチャレンジだったと言われています。その人々の名はへンリー・カイザーとジョセフ・フレイザーです。 Read the rest of this entry >>

地方の消防署を覗くと

第二次大戦直後まで、地方の消防署を覗くとラジエターシェルに白い逆三角形のエンプレムを付けたハドソンが見られたようですよ。1953年型ハドソン・ホーネット4ドア・セダンを生んだのはロイ・D・チャピンという人物でした。彼はランサム・E・オールズの工場で写真技士、歯車の仕分け係として働き始めたようです。1901年には第2回ナショナル・オート・ショーに出展するカーヴドダッシュを、ミシガン州ランシングからニューヨークまで自走で陸送したと言います。1906年にはオールズを辞去、ハワード・E・コフィンとトーマス・デトロイト車を生みます。さらに1909年、またもやコフィンと協同で生み出したのがハドソンということのようですね。 Read the rest of this entry >>

ハドソンに対する信頼が絶大

車の歴史を振り返ってみる時、ミシガン州のデトロイトは外せませんよね。この世界一のモータウンの東ジェファーソン通り12601番地に本社工場のあったハドソン・モーター・カー・カンパニーの跡を辿ろうと思います。ハドソンは1954年にナッシュと合併してアメリカン・モータース・コーポレーションとなり、1957年を最後にその名前が消えることになりました。よって名前さえ知らない人が少なくないでしょう。でもハドソンは日本とはゆかりの強い車だったと言われています。ハドソンはGMで言えばオールズモビルからビュイック・クラスのアッパーミドルカーで、エンジンが強力なことで知られていたんです。大正から昭和初期にかけての日本の道路は、舗装がなく、急坂が多いという劣悪な状態でしたよね。なので特に地方ではハドソンに対する信頼が絶大で、「ハドソンじゃなきゃ登れない」なんていう坂も少なくなかったようですよ。 Read the rest of this entry >>